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風と草

分け与えることの大切さ

2024-07-11
施餓鬼棚
こんにちは、副住職の源さんです。

広福寺では年に二回、『慈眼』というお便りをお配りしています。
以下は『慈眼』に載せた文章です。
少々長いですが、明日のお施餓鬼の話ですのでご覧ください。

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廣福寺では毎年七月十二日、施餓鬼会を厳修しております。
「お施餓鬼」と呼びならわされるこの行事は、仏教の教えを実践する大切な行事として、多くの寺院で行われています。
仏教において生命は、幸せに満ちた天上界、我々が生きる人間界、争い続ける修羅界、餓え苦しむ餓鬼界、本能のままに生きる畜生界、苦しみばかりの地獄界の、六つの世界を輪廻転生すると考えます。
このうちの餓鬼界に堕ちた人々を救うために、飲食物を施す行事が、お施餓鬼です。
当日は本堂に飲食物をお供えする棚が設置され、僧侶と参列者は米水を本堂の外に向かってまき散らして手を合わせます。
その最中、二〇名ほどの僧侶が声を合わせてお経をお唱えすることで、少量の米水が増幅し、無数の餓鬼の腹を満たすと信じられてきました。
さらに餓鬼のみならず、これまで亡くなった無数の人々も、死後の苦しみから解放されますようにとお祈りします。
ですので、檀家の皆様は特にご先祖様の冥福を祈るために、施餓鬼塔婆を立てます。それに加え、生きとし生けるものすべての健康と長命をお祈りします。
このようにお施餓鬼は餓鬼に施す功徳を持って、すべての亡者を供養し、さらには生きるものの幸せを祈る仏教行事です。

さて、ここまでは餓鬼という目に見えない存在や、お経の力で飲食物を増幅させるなど、信仰の話をしてきました。
しかし、お施餓鬼にはより現実に即した意味もあります。
冒頭、六つの世界について記しましたが、実はこの六世界は私たちの日常生活のなかに存在します。
天上にいるかのように幸せな時、修羅の如く勝ち負けに捉われてしまう時、
動物のように本能だけで動いてしまう時、
地獄にいるかのように苦しい時。
そして、餓鬼のように、あれが食べたい、これが飲みたい、お金が欲しい、地位が欲しい、名誉が欲しい、欲しい欲しいと、常に求めてばかりの時。
このような六世界にいるかのような気持ちは、誰でも一度は経験したことがあると思います。
輪廻転生すると信じられてきた世界とは、ともすれば私たちが一日のうちにすべて経験するほど、身近な心境を言い表しているのです。

そしてお施餓鬼とは、そんな私たちの心に住む餓鬼を救う行事といえるでしょう。
お施餓鬼に参加して、米水を餓鬼に施すという象徴的な行為を通して、求めてばかりの自分の心を戒める。
分け与えることで、自分の欲を捨て、貪り苦しむ心を離れる。
お施餓鬼は餓鬼を救うと同時に、欲望に振り回されてしまう自分を救う行事なのです。
皆が自分の持っているものを少しずつ分け与え、施しあう世界になったらどうでしょう。
とても穏やかな気持ちで過ごすことが出来るのではないでしょうか。
そうすればきっと、ご先祖様も安心して天上から皆さんを見守ってくれるはずです。
お施餓鬼に参加すること、お施餓鬼に塔婆を立てることを通して、自分のなかの餓鬼を戒め、ご先祖様の冥福をお祈りしましょう。
当日は私も心を込めてお経をお唱え致します。
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副住職の源さんでした。
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