風と草
自分の中の「牛」
2021-01-10
こんにちは、副住職の源さんです。
今年は丑年です。
牛は物静かで穏やかであるとともに、力強い動物です。
私は丑年生まれですので、特に牛には親しみを覚えます。
牛のようにおおらかでどっしりと構えた人になりたいものです。
仏教にとっても牛は大切な存在です。
お釈迦様の本名はゴータマ・シッダールタといいますが、ゴータマとは「最も神聖な牛」という意味だそうです。
牛のように成長してほしいとの願いから名付けられたのでしょう。
また禅宗では牛を、人が生まれながらに持つ仏心、すなわち慈悲の象徴と考えます。
牛の優しい眼差しに慈悲の心を見たのでしょう。
さて、禅宗の語録『碧巌録』第七則には次のような慧超と法眼のやりとりがあります。
慧超「仏とは何ですか?」
法眼「お前は慧超だ」
この慧超のことを「牛に乗って牛を求めているようなものだ」と評する言葉が残っています。
慧超は、自分の中に素晴らしい仏心を持っているのに、外にばかり求めてしまっているということです。
私たちは皆、仏のような慈悲の心を持って生まれてきます。
しかしいつしかそのことを忘れ、他人を非難してしまいます。
自分を責めたり、ダメだと思い込んでしまうこともあります。
自分の中の仏心に気付いていない人は、
他人にも自分にも、慈悲を向けることが出来なくなってしまうでしょう。
丑年の今年、私は自分の中の「牛」を大切にしたいと思います。
それは自分の中にある「慈悲」を大切にするということです。
困っている人がいたら助けずにはいられないという「慈しみの心」。
困難な状況にある人を思って共に「悲しむ心」。
社会が不安に覆われている今こそ、自分の中の「牛」とともに、穏やかな日々を過ごしていきたいものですね。
それでは、源さんでした。